2008年02月23日

帝王の諡号

中国って本当に進化した国だったのですね。
驚くばかりです。


秦の始皇帝は「臣が君主の死後君主の業績を評価をすべきではない。始皇帝、二世皇帝...万世皇帝と自動的に決めるようにせよ」という意志を持ち、短時期ながら諡法を廃止した。しかし前漢の皇帝たちはこれを復活させ、さらに2通りの帝王諡号を制定した。文帝・武帝・明帝・元帝などの帝号と、高祖・太宗・世宗・宣宗などの廟号がある訳である。一般に言うと、隋以前は帝号を以って帝王の尊称としたが、唐宋以後は多く廟号を用いるようになった(帝号も無くなったわけではないが、唐の太宗の「文武大聖大広孝皇帝」のように長くなる傾向があり、呼びにくいので通常にはあまり用いられなくなった)。

ほとんどの君主はこの両種類の諡を持っているが、例外として、廃帝や末帝には廟号が上られなかった。廟号を得るとは太廟(皇室の祭祀所)に位牌が祀られることを意味し、崇めるに足りなかった廃帝にそのような待遇はされなかったし、皇朝の末代を宗族でもない新王朝の皇帝が廟に祀る訳にはいかなかった(また皇族でなくなった遺族は太廟で祭祀を行うことはできない)のである。その代わり、後者については新王朝から美諡を贈られることも少なくなかった。

開国皇帝(王朝の初代)や王朝の繁盛に大いに尽くした皇帝には「某祖」、その他の皇帝たちには揃って「某宗」の廟号が奉られた。例えば、前漢の高帝劉邦は開国皇帝なので廟号は「太祖」(太祖高皇帝の略で史記以来「高祖」と一般に呼ばれる)、後漢の光武帝は創業に等しいので廟号は「世祖」とされたが、それ以外の漢代の帝王は皆「某宗」であった。清の初代ヌルハチは太祖高皇帝、初めて中原を支配した第3代順治帝は世祖章皇帝、その子で賢君の誉れ高かった康熙帝は聖祖仁皇帝とされ、稀に見る一代三祖となっている。ちなみに、日本でも教育勅語や玉音放送の中で「皇祖皇宗(初代と言われる神武天皇から続く万世一系の天皇家という意味か)」という定型の表現を用いている。

帝王の諡字選定の原則も、臣下のそれと同様であったはずだが、唐宋以降、よほどの暴君でもない限り悪諡は避けられた。遊楽に耽けて危うく国を傾けそうになった宋の徽宗(実際に亡国)、明の武宗なども美諡を得た所以である。その一方で、後継者の都合によって「暴君」もしくは不適格とされた君主は死後、庶人として待遇されたり(例:魏の高貴郷公、南斉の東昏侯、金の海陵王ほか)、在位そのものが否定される場合(前漢の少帝弘、唐の少帝重茂、明の建文帝ほか)があった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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